挨拶ひとつで変わってくる!?「ご近所づきあい」の極意とは?(OurAge)



自分が決めた土地で住み暮らす以上、近所づきあいはできるだけ波風を立てずに穏やかに暮らしたい、と誰もが願っているはず。ところが近所には、同じ考えの人ばかりが暮らしているわけではない。考え方が違えば、そこには少なからぬ波風が立つものだ。

「親しい近所づきあいがあれば、迷惑をかけることがわかっていたら、事前に伝えるだけで、ご近所の方は迷惑とは思わないもの。でも、つき合い下手で挨拶すらしなかったとしたら、そこには嫌な空気も漂ってきます」と話すのは生活研究家の阿部絢子さんだ

「近所づきあいはまずは挨拶からです。ドイツでは数カ所にホームスティしましたが、どの家でも、週一回は必ず近所を散歩して歩きました。そんなとき、近所の人とは決まって立ち話をします。内容はよくわかりませんでしたが、今日の天気や気温のこと、葡萄畑の様子、健康のこと、近所の話などだと思います。近所とはまず顔見知りになる、次には挨拶をする、そして次第に話をする。話をして初めて人となりがわかってくるのです。そのときに、合わないと判断すれば、また挨拶だけのつきあいでいいのです」

「こうした近所づきあいは、ドイツだけではなく、ちょっと前まで私たちだってしていました。ところが、みんなとても忙しくなり、近所も目まぐるしく人が入れ替わるようになってくると、近所に暮らす人の顔さえわからなくなってきたのです。それで、立ち話は当然のこと、挨拶さえできなくなってしまったのです」

たとえば、何か近所に迷惑がかかると予測できることでも、前もって話せない窮屈な状況になっているのが、現代なのだろうか。

「近所に暮らしている人の顔が見えなければ、お互いさまの気持ちなど生まれようはずがありません。他人はどうであれ、自分中心の暮らしを満喫することになります。自分中心に、平気で迷惑を近所中に広げていきます。例えば、夜中に平気で音楽をかける、洗濯機を回す、掃除機を使う、大勢で夜更けまで酒盛りをする…。すべての人が自分と同じリズムで暮らしているかのような自己中心的な暮らし。これでは近所づきあいもできません」

『顔の見えにくいご近所』では、迷惑が降りかかれば当然それを訴える、文句を言う、迷惑を阻止する行動をとるなど、波風はいっそう荒れ狂い、ともすると、傷害事件をも起こしかねません。もし、自分があらかじめ近所迷惑をかけると予測できることであれば、集合住宅では、家主、管理組合、町内会などに伝えておく必要があるでしょう。自分では迷惑でないと思った行為でも、それを迷惑と感じる他人がいるかもしれないからです」

口コミとかで
いろいろな意見の書込みがあるけど
実際は【効果なし】なの?

わたしが気になっているのはコレ・・・

何でも個人差はあるから仕方ないんですけどね

ほとんど全員が【効果あり】みたいに書かれてるのが
ちょっと怪しい気もすんですけど・・・

でもちょっと期待もしてしまいますよね

やってみようか・・・悩むな~



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